挫折したまま生きてる気がする 体調の変化
日があいてしまいましたが、書いてみます。
空白の期間
私は病気をもっています。病名や症状を書くと身バレの危険があるのでやめますが、
24時間テレビのコーナーで取り上げられたこともある珍しい病気です。
完治はしないので、経過観察して悪化したら治療の繰り返しですが、
昔と比べたらほぼ完治したといえるくらいによくなりました。
最初症状が出たのは3歳のときでした。
小児科の先生に診てもらって、ある大きな病院の紹介状を書いてもらいました。
総合病院で、そこのとある科にかかることになりました。
小児科で診てもらったときもはっきりと病名は分からないとのことでしたが、
ここでも病名は教えてもらえませんでした。というか分からなかったみたいです。
処方された変な色の塗り薬のせいで、患部が不気味な色に染まっていたので、
そこを見られると、何それ気持ち悪い!と容赦ない言葉をかけられることもありました。
変な色の薬を患部に塗りつづけ、マズイお薬を飲み続けていたら、いつの間にか
私は小5になっていました。
病院へは定期的に通っていましたが、その日はいつもの先生の休診日でした。
そこで違う先生が登場し、私の病状を診るなり顔が険しくなりました。
「これは、違う科のほうが良いですよ」
どうやら、長い間誤診されていたみたいでした。
そのあと、今も診ていただいている先生と出会い、テンポよく手術の話が進んだので
私も親もモヤモヤが解けてスッキリしたはずです。
診察でモヤモヤしたことといえば、造影剤を使ってMRIを撮るうえで、万が一死ぬことがあるかもしれないと話を聞いた日に。
たまたま医学生が見学?研修?に来ていたことがありました。
怖すぎて部屋から出た後大泣きしました。
医学生でいっぱいの中での診察は、あれが最後だと思いたいです・・・。
考え込み病
これはいじめ事件と同時進行のお話なのです。多感な少女だった私は色々考えこむようになりました。
思春期に入るまで、謎の万能感があったので病気のことはさほど気にしていませんでした。
毎日楽しくて悩む暇がなかったのですし、何か言われたときしか病気のことは考えていなかったと思います。
ところがいじめを受け、それと同時期に病名を告げられ、本格的な治療が始まり、
私は普通じゃないんだな。
ということに気付き始めたのです。
一回の手術での入院期間は10日間程と短いですが、退院しても生活に支障をきたす
感じだったので、
こんなふうに思うようになりました。
普通じゃない。その自覚で、今までできていたことが難しいと感じるようにも
なりました。
あの頃の自分に、もう少し大人になれば落ち着くから、難しく考えすぎるな!と言ってやりたいけど。
当時の自分には大きな悩みの一つになっていました。
挫折したまま生きてる気がする 小学校のいじめ②
こんばんは。nonkibuta.hatenablog.com
この続きです。
Tちゃんの勧めで、担任兼顧問の先生(S先生とします)のところへ相談しに行きました。
確か友達を連れて。
S先生はウンウンとうなずき、二人の会話ややり取りをよく見るようにすると約束してくれました。
相談するのは勇気が要りましたが、その分安心しました。強い味方ができたと思っていました。S先生が担任で良かった!と初めて思っていました。
S先生は厳しくヒステリ同じ学年の担任の中でも、一番恐れられていた先生だったのです。(小5の始業式のとき、担任がS先生と発表されると、私のクラスだけ空気が凍りました。)
ですが、それからいじめらしいことは続きましたが、S先生は何もせず、見て見ぬふりをしました。
クラスでのお調子者の私を知っているので、多少痛い目に合わせたかったのかもしれないです。
一度親に言ったこともありました。が、お前が悪い、そんなの言い返せ、となぜか説教が始まり、最終的には「親にいじめられてると相談するなんて恥ずかしい。」とため息をつかれてしまいました。
心が弱っていき、いじめやその他のストレスが重なり、登校拒否を繰り返しました。
そして、待ちに待った日が近づいてきたのです。
先輩の卒業
部内では6年生を送る会が開かれ、その中で手紙交換がありました。
そこに書いてあった言葉です。
今までしてきたことを無かったことにするかのようなゴメンネ!の文字。
ニコニコして、ちょっと涙ぐむ感じのMちゃん。
終わり良ければすべて良しってか? 思いました。
それから私の心には、
からの
の流れが、ずっとトラウマとして残ることになるのでした。
挫折したまま生きてる気がする 小学校のいじめ①
こんばんは。vistaからwindows10になったんですが難しいですね。
マーク?アイコン?がカッコよくなっていて、何が何だかわからない。手探り状態です。
挫折の話
生きていればいつかは挫折を経験すると思います。大人で、うまくいってる人もいってない人も、挫折したことないって人はいないんじゃないかと思いますが、時間が経てば立ち直って進んでいける人が多いはずです。
私も挫折といえるか分かりませんが、挫折っぽい経験をしました。
でも、転んで立ち上がれないまま、今までずっと生きてきた感覚があるのです。
挫折その1.小学校高学年で受けたいじめ
私は幼い頃とにかく活発で、思い立ったら即行動、体を動かしていないと気が済まないような感じだったみたいです。
考えずに行動したり言葉にしてしまうところがあったので、今思う以上にいろんな人を
傷つけていたかもしれないです。
思い出せるのは、休み時間に好きな人がやっていたオセロをぐちゃぐちゃにして逃げたり、わざと友達のボールペンを分解して泣かせたり、、
親が言うには「いじめられっ子よりいじめっ子にならないか心配だった」ようで。。
しかもあの頃はなぜか勉強をしなくてもテストで点を取れたのと面白キャラで、優等生扱いをされ、全てがうまくいっていた私は調子に乗っていたのです。
担任の先生はそれに気づいていました。
高学年になり、とあるクラブ活動に入りました。担任の先生が顧問をしていて、部員が少ないから入って!と誘われました。
入った当初は先輩から可愛がられて楽しかったのですが、マイペースでお調子者の私に
目をつける先輩が現れたのです。
Mちゃんです。
Mちゃんは私の一学年上で、自己主張のはげしい子でした。一人っ子なので、その影響でしょうか?同じく一人っ子の私とぶつかることになってしまいます。
私が丁寧に作業していると遅いと睨まれる。
早くすると手抜き!と怒鳴られる。
どうしていいのか困ってしまいました。
何か言いたげな顔をしてた私に「文句あるなら言って!」と二人きりのときに言われ
当時の私は完全にひるんでいました。人にハッキリと苦手意識を持つのは、これが初めてでした。
それからトラウマに残る出来事は続きます。
泣くほど嫌だった病院の検査の次の日、ずる休みの噂を広げていたり。
先輩の話の輪に入るのが怖くなっていたころ、たまたま興味のある話題をしていたので
思い切って話しかけたら無視して話を続行したり。
Mちゃんの家に呼ばれ、Mちゃんの母がいるリビングでは楽しく話してくれたのに、部屋に行くと先輩数人から蹴られたり。
そんな様子を見ていた先輩、Tちゃんがいました。
ある夜、Tちゃんから電話がかかってきました。先輩から電話が来るなんてビックリしたのを覚えています。
Tちゃんは私がいじめられていたことに気付いていました。ですがその当時、私はいじめを受けているという自覚があまりありませんでした。
「先生に相談しよう?」優しいTちゃんはそう言ってくれました。
後で母から聞きましたが、Tちゃんの妹はいじめが原因で不登校になっていたみたいです。妹のこともあって、私を気にかけてくれたのかもしれないです。
つづきます。
はじめまして
のんきぶたと申します。現在21歳今年で22歳になる女です。
趣味は音楽を聴くことと食べることと寝ることです。
ブログを始めたきっかけは、お金が貯まったので新しいパソコンを買ったことと、
私と同い年の大学生の就活が始まるという焦りで、何かを始めようと思ったからです。
私は数年前大学生でしたが、1年の秋頃に辞めてしまいました。
退学届を出して承認されたのが秋で、7月には通っていなかったと思います。。
理由は後日ブログで書きますが、おおざっぱに言うと当時の彼氏にフラれました。
(失恋で中退した人ってどれくらいいるんでしょうか?)
そこから工場のバイトを始め、3日で辞めて、約1年のニート期間を経て今の会社に
入ったのです。パートとして・・・。
振り返ってみると、とんだ親不孝ですね。しかし私はまた会社を辞めようか考えています。
今日から、過去のことやその日のことを書いていくので、のんきぶたの人生がどうなっていくか見守っていただけると嬉しいです。