いつか普通になるために
書きたいので書きます。
普通って何だろう?って昔から考えてきました。
この考えに憑りつかれだしたのは、小学生のころ、
持病のちゃんとした病名がわかり治療を始めたくらいからでした。
他人と自分。なぜ、他の人は元気いっぱい?私は何もしてないのに。
病気になって、しかもそれに気づいた人から差別される。
しかも、お金もかかる。 普通に近づくには、お金がかかる。
神様はなんて不公平なんだろう・・・と思っていました。
(私が入院したとき、当時の担任の先生はクラスの人に、「病気は神様のいたずらなんだ。」と説明したらしいけれど、それを聞いてモヤモヤしていました)
でも、大人になってから分かったのは、子供の時から病気を持っている人が少ないだけで、年を取るにつれて皆何かしら体に不調が出てくるよね。ということです。
私が最初から持病を持っていなければ・・・病気!という言葉に対する免疫がなくて、
大人になってから大きな病気にかかると、ショックでへこんでいたかもしれない。
それなら、小さいころから凹みに慣れていたほうが、マシかな?と思えるようになりました。。
働き出してからは、病気ではなく、違う意味での普通を考えてしまいます。
私は、最近よく耳にする発達障害っ気があります。
幼少期は何も考えずに行動、発言し周りを振り回し、ある時期から人間関係に悩み、
忘れ物が多く、時間を把握するのが難しく待ち合わせを守れない、人によくぶつかる・・・など、精神科に行くとADHDと診断されてしまいそうな感じです。
なかなか、人と同じようにできません。今の職場はもうすぐ2年になりますが、
明らかに同じ時期に入った人より、劣っています。
対人恐怖や緊張がとれないため、社会人の常識のホウレンソウがうまくできないのです。
うまく説明できるかな?→変なことを言って、おかしな人だとまた思われそう。→
まあいいや、たぶん大丈夫だろう。大丈夫だと信じよう。
こんな思考なのでミスが多発します。
先輩も私の発達障害っ気を察したのか、
「協力できることがあったら言ってください。」と声をかけてくれます。
が、全ての原因は私の性格にあるので、私のほうで治さないと何も変わらないのです。
ちょっと偉い方が、話し合いの機会を設けてくださって、
さっきの先輩の言葉と同じことを言われましたが、、
私はそれを言われるたびに泣きそうになります・・・。
頑張っても頑張ってもトラウマから解放されなければ、何もならない。
頑張ってようやく普通になっても、普通の人にとってはそれが頑張っていない状態。
差がありすぎます。
この話を、重くならない感じで彼氏にしました。
彼氏は「いや、普通の人なんかいないって。」と笑っていました。
普通より上へ、あの人より上へ、ではなくて、頑張り度が大事。
(わかりづらい。他の人のほうが上にいるけど、頑張り度は同じだよ!の図。
これをむなしいと思うか、いいじゃんと思うか??)
それは分かってるんですけど、まだ納得いかないですね。
私はいつか家庭を持つのが夢なのですが(25歳くらいには。。。)
それまで、どのくらい普通の人間になれているかな?と想像して、よく不安になります。
そういうときには、、暗い泥沼みたいな中学生だった自分を思い出します。
あの頃の自分は、大人になって働いて、友達はいないけど彼氏がいる未来を
少しも想像できませんでした。
それと同じように、数年後、今は想像できないような自分になれてたら、と
期待してしまうこともあります。
とりあえず、今はできることだけをしていきたいですね。(結論)